とうしょう尚   崎 尚

作陶、土味へのこだわり

ルーツと粘土


備前焼の陶土は、
同じ備前市内でも、東と西、南と北、
採掘する場所で、それぞれの特徴と個性は変ってきます。
それは、陶土(粘土)の源となる、1次粘土の場所が異なるからです。

地図を見ながら確認をしていただけると良くわかりますが、
備前市のJR赤穂線、伊部駅の東に田井山、南に龍王山、
北に不老山、その北東には高山があり、
さらに駅北の不老山の西方に医王山、宮山と続きます。
JR同線の香登駅の南に丸山古墳のある鶴山、北東には大内山、
北には城山、と並んでいて、
伊部駅と香登駅の南の中間どころには西大平山があり、
JR赤穂線を谷にして、四方八方から堆積土、
粘土を集めてくる地形で、備前焼の里が誕生しています。


もちろん、古窯の窯跡も備前の地方に点在をしていて、
備前焼のルーツとしては、古代の土器「土師器」、「須恵器」が、
伊部駅より南西の邑久郡長船の須恵(地名)に、
土師(陶工の集団)が創めたとされていて、
時代と共に、燃料と陶土を求め築窯地が北上をして、
伊部駅北西の熊山の山中にまで、移り変わり、
鎌倉の時代に現在の伊部駅の周辺に
作陶地を移したといわれています。

太古の歴史の中で、備前地方のそれぞれの山から生まれてきた、
一次粘土に、それぞれの山の有機物と混合されて、
やがてそれぞれの二次粘土となり、
陶土、粘土の特徴と個性に大きな差となって、
化学組成で言う、酸化第二鉄、シリカ、アルミナ、チタニアなどの含有量や、
イグロスなどの灼熱減量の値が変わり、
備前焼の表情豊かな陶土に変わり、
私たちを楽しませてくれているのだと、考えています。

その二次粘土の陶土は、現在の備前地方の地下に、
数十センチの堆積層となって採掘をされています。


備前の一次粘土、山土(黄土)は、単身での作陶も可能ですが、
可塑性*に富む二次粘土の田土(黒土)が、
備前の陶土として、細工物、置物などに、
近年、歴史的には多く使われてきました。 

(*可塑性=形をつくり得る性質)     


一次粘土とは、
一般には、アルミナ、珪酸を含む火成岩などの風化変質した、
物質的には純粋な粘土で不可塑性なものです。
二次粘土とは、
一次粘土の風雨流水などによる、漂流沈積で
有機物を含む粘土で、可塑性に富む特性があります。
両粘土は、総称で「含水珪酸バン土」と呼ばれるもので、
水分を含むと可塑性に富、乾燥により固まり、
焼けば収縮して焼きしまり、さらに高温で露すると熔化します。

備前の粘土を「寝かす」と言う表現を良く聞きますが、
有機物を含んでいる、堆積粘土であるからと考えられ、
変な言い方ですが『醗酵』する?ことにより粘土の粘りが増して、
さらに可塑性があがり、作陶の幅を広くしているのかも知れません。
依然聞いたことがある、お話ですが、
精土の過程の水簸槽に「死んだネズミを入れる」と聞いたことが有ります。
『醗酵』を助けるためかも知れませんが、事実、確かに粘土は、
寝かした方が、作陶、ロクロ挽き、成形はし易いですし、
粘土は泥の臭いがしますし、怪我をした手で作業をすると、
怪我の状態は極端にひどくなります。
たくさんの微粒細菌に助けてもらって、良い粘土が生まれ、
それらが焼成により、結晶水と共に、それらの有機物がなくなり、
作陶の素地が、乾燥で1割、焼成でさらに1割、
完成品になるまでに2割もの収縮を生むのだと思います。

現在の備前焼にも、
一次粘土の山土と、二次粘土の田土を
作陶品に合わせて比率を変えブレンドしたりして、
使用することが多くあります。


福浦の原土は、
岡山県外となると当然、備前粘土とは異質の陶土、成分になってきます。
赤穂市の福浦は、昭和39年に岡山県から兵庫県の赤穂市に
合併をしたという経緯があり、もともとは岡山県でした。
JR赤穂線の当地駅名は「備前福河駅」といいます。
そんなことに因果関係が有るか否かは分かりませんが、
歴史的には、屋根瓦の陶土を採掘していたことがあるそうです。
こちらの福浦の陶土、原土は、
一次粘土でして、備前で言う山粘土系です。

面白いかどうか分かりませんが、
福浦地方の西と東では、異質の山となっています。
西側と北側には山土系の陶土が採れるのですが、
東側には石の鉱脈があり、採石場が有ります。
石山でして、関西新空港の埋め立てにも、
大量の砕石が使われたそうです。

ルーツと粘土   自 然 練 込 み   土 味 の 魅 力

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