とうしょう尚 コンテンツに戻ります。  崎 尚

番外編えぴそーど 陶尚の開店

2004年焼板に
自松のくり抜きの文字看板

2008年8月の店内
備前焼 陶尚 オリジナル看板
   店舗内 展示風景

     自己紹介
   展示場へリンクします


 陶尚のオープンは2003年12月6日
当時は正直、勢いでの開業でした。

 っと言うのも、
2000年4月より勤めておりました窯元が
当時、経営の危機に直面。
平たく言えば”肩たたき”にあった訳です。
 窯元在職中にも自宅でもロクロが
挽けるような環境をと、、
粘土を買い置きしたり工房を開設したり、
展示場を整備したり独立に向けての
準備を少しづつ進めるていましたから、
一番に首切りし易い
状況だったように思います。

 2003年の6月、窯元を退職することが
現実となり、すぐさま自然練込で著名な
川端文男先生の門を叩き
駆け込みの押し入り修業をっと
弟子入り志願をした訳です。
当時、列記としたお弟子さんが居られ
ましたので、同じ環境下では勉強は
出来ませんでしたが、
数々事柄を快く教えていただきました。






 その後、当方のオープンまじかになって、
平川忠先生が古窯を復元した
土窯の初窯を焚くっという知らせに、
いてもたっても居られなくなって、
自身も忙しいにも拘らずこれもまた
押しかけでお手伝いに行きました。
 身をもって体感できたことは、
自分なりに相当に奥深い
勉強が出来た事となりました。

 窯元在職の時代では造る事、
職人・陶工に専念。
作家の両先生は造る事はもちろん、
窯詰め、焚き上げるまでが全て作品造り。
そして土と焼に拘っております。

窯焚きの区別では大きく、
川端先生は明るい焼けの「酸化焼成」
反して平川先生は「還元焼成」と言う
表現になりまして、窯元での修業時代では
到底、知ることも無いことでした。

 当方のこだわりの根幹を
太くして戴いたのでした。

さらに思い起こすに、
99年4月よりこの道に入り経験した
窯焚きの回数は数えきれません
窯は登り窯。穴窯。角窯。ガスに電気
数えてると30種類以上になった、。
それぞれの窯の容量や構造によって
大きく特性、特徴が変わります。
先方のオーナーさんの意図を
かたちに残せるように焚き込んでいく。
窯焚きの職人の世界。


また、内職のようにそれぞれでの家庭で
ある先生の器をまねて造りサインを
   入れて制作する「賃挽き」と言う
ロクロ挽きの職人の世界。


ある作家先生にお弟子に入れば
まずは犬の散歩から、
雑用ばかりで仕事は教える事もない。
ロクロも挽かしてもらえない、、。
などと、厳しいお弟子の世界。

郷に入って知る世界。




そういう意味では、
当方は、恵まれた環境にありました。

窯元修業の職人の世界では、
早く一人前になれるように、
先輩方がある程度の指導をしてくれて
体力が有るようなら窯焚き中などは
夜遅く、明け方までロクロを挽いたりして
練習していても怒られることもなかった
むしろ、褒めて戴いてました、、。
賞を戴いたのもその時の作品です。


厳しい世界を上手にすり抜けれたのか
遭遇することなくここまでこれたのか、、。


そんな状況下で独立開業をしたのでした。
陶尚オープン当時、制作の干支は
「申」、昨年末に「寅」を制作して、
今年で干支は7種類の7年になりました。

そんな開業からは色々な方々が
お店に足を運んで戴けました。

国内では北は、北海道。
南は九州の鹿児島から、、。

海外では
ドイツの方やオーストラリアの方。




そんな私には、これからが
新たな試練なのかもしれません。

楽しめながら、
刺激を受けながら、
陶技、炎技にさらに磨きを入れて
心と体に響くような
作品造りが出来れば、、っと思うのでした。
陶尚のオープンより、、。




2010年3月

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