番外編えぴそーど 陶尚の開店
陶尚のオープンは2003年12月6日 当時は正直、勢いでの開業でした。 っと言うのも、 2000年4月より勤めておりました窯元が 当時、経営の危機に直面。 平たく言えば”肩たたき”にあった訳です。 窯元在職中にも自宅でもロクロが 挽けるような環境をと、、 粘土を買い置きしたり工房を開設したり、 展示場を整備したり独立に向けての 準備を少しづつ進めるていましたから、 一番に首切りし易い 状況だったように思います。 2003年の6月、窯元を退職することが 現実となり、すぐさま自然練込で著名な 川端文男先生の門を叩き 駆け込みの押し入り修業をっと 弟子入り志願をした訳です。 当時、列記としたお弟子さんが居られ ましたので、同じ環境下では勉強は 出来ませんでしたが、 数々事柄を快く教えていただきました。 |
その後、当方のオープンまじかになって、 平川忠先生が古窯を復元した 土窯の初窯を焚くっという知らせに、 いてもたっても居られなくなって、 自身も忙しいにも拘らずこれもまた 押しかけでお手伝いに行きました。 身をもって体感できたことは、 自分なりに相当に奥深い 勉強が出来た事となりました。 窯元在職の時代では造る事、 職人・陶工に専念。 作家の両先生は造る事はもちろん、 窯詰め、焚き上げるまでが全て作品造り。 そして土と焼に拘っております。 窯焚きの区別では大きく、 川端先生は明るい焼けの「酸化焼成」 反して平川先生は「還元焼成」と言う 表現になりまして、窯元での修業時代では 到底、知ることも無いことでした。 当方のこだわりの根幹を 太くして戴いたのでした。 |
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さらに思い起こすに、
99年4月よりこの道に入り経験した 窯焚きの回数は数えきれません 窯は登り窯。穴窯。角窯。ガスに電気 数えてると30種類以上になった、。 それぞれの窯の容量や構造によって 大きく特性、特徴が変わります。 先方のオーナーさんの意図を かたちに残せるように焚き込んでいく。 窯焚きの職人の世界。 また、内職のようにそれぞれでの家庭で ある先生の器をまねて造りサインを 入れて制作する「賃挽き」と言う ロクロ挽きの職人の世界。 ある作家先生にお弟子に入れば まずは犬の散歩から、 雑用ばかりで仕事は教える事もない。 ロクロも挽かしてもらえない、、。 などと、厳しいお弟子の世界。 郷に入って知る世界。 |
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そういう意味では、 当方は、恵まれた環境にありました。 窯元修業の職人の世界では、 早く一人前になれるように、 先輩方がある程度の指導をしてくれて 体力が有るようなら窯焚き中などは 夜遅く、明け方までロクロを挽いたりして 練習していても怒られることもなかった むしろ、褒めて戴いてました、、。 賞を戴いたのもその時の作品です。 厳しい世界を上手にすり抜けれたのか 遭遇することなくここまでこれたのか、、。 そんな状況下で独立開業をしたのでした。 |
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陶尚オープン当時、制作の干支は 「申」、昨年末に「寅」を制作して、 今年で干支は7種類の7年になりました。 そんな開業からは色々な方々が お店に足を運んで戴けました。 国内では北は、北海道。 南は九州の鹿児島から、、。 海外では ドイツの方やオーストラリアの方。 |
そんな私には、これからが 新たな試練なのかもしれません。 楽しめながら、 刺激を受けながら、 陶技、炎技にさらに磨きを入れて 心と体に響くような 作品造りが出来れば、、っと思うのでした。 |
陶尚のオープンより、、。 |
2010年3月 |